勇気を使った後のドキドキ感
勇気を使った後のソワソワ&ドキドキ感。
常識や美徳と言われるものから
外れているなと自覚があると‥
「これで良かったのかな」と
誰かに同意してもらいたくなる。
中学校に欠席の電話を入れた、
というお話なんですが‥
ブログに書きたくなりました。
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心を強くして
「えいっ!」と
飛び込んだ自分なのに、
(以前は美徳や常識がかなり大好きだった私です)
〜すべき!!
〜しなければダメな人間だ!
‥‥‥と
後から勝手に頭の中が騒ぎ出す‥。
「先生困ってたなー‥」
「ダメ親としてまた認定されたな‥」
先生側も
こどものために‥と本気で思って下さり
遅刻して登校しますか?
と促してくれてる訳だけど
私の選択は欠席!
【こどものため】
同じ言葉がテーマだけど
がんばる&がんばらない
‥選択は真逆だ。
これで良かったの?私?と
グラつきそうにもなる。
こどもを大切にするための
強い決意。
後悔はしないぞ!!
「こっちを選ぶ自分に拍手だー!!」
と行動を起こした。
まずは♫
堂々と淡々と揺るぎない気持ちで
📞「調子が良くないそうで
本人が休むといいますので
今日は様子をみます」
と言い切れた自分が嬉しい。
私の心のスッキリ感で
これで良かったんだって分かる!
‥なのに‥
さっきまで揺るぎなく思ってた自分なのに‥
後から常識の不安が襲ってくる。
罪悪感のような気持ちに覆われそうになる。
【‥甘い親‥】
「うー‥‥‥‥⤵︎」
心の自分🆚頭の自分
‥結論
「気分が良い♪からスタートしないと
学校行ったって良い現実を作れないんだから!
休んで良かったんだよー♪
いい決定だよー
何より本人が決めたことなんだよー」
‥と
私の心が言っています♪
「こどもの味方でいれた!」
私が嬉しい!
こどももスッキリしてる!
せっかくいい決定したんだから♪
「気分よくこの日を使いましょー」
が結論です
今回は
中学校へ欠席の電話を入れたばかりの
移り変わる自分の心境を書き留めました
熱がある訳でもない。
私が「行ける!!行きなさい!!」
強い命令を出せば
嫌々ながら行ける状態
‥なのでしょう‥!
コロナ前の私ならおそらく‥
間違いなく常識を守る側でした。
下痢や腹痛は授業中に席を立つのが大きなストレス。
回数が重なれば視線が気になるのも分かる。
今日の症状は精神的にくるものか
本人にも過ごしてみなきゃわからない。
今の私の選択は!
ウソだと決めつけることはしないし、
大袈裟だと跳ね除けることもしない。
絶対しない!したくない。
ちゃんと信頼してるよ。
いつでも正直な気持ちを話してほしいな。
心底そう思う。
行きたくないのは確かな気持ち。
疲れが出てるんだろうな!
決めるのは自分。
「下痢気味やし、なんか‥行きたくない‥」と
本人が気持ちを伝えてるんだから。
気楽に心がホッとする1日にできた方が
心にも体にも絶対良いに決まってる。
(無理矢理学校に行かせる状態は、
いつか、
休みたい願望を叶える為に
病気の症状を悪化させていくものなんだって
分かるから。
高次元情報学を知るうちに分かったこと。
昔の自分も確かにそうだったって
確信したこと。)
昨年から
月に一度のペースでその理由で休んでいます。
次の日はケロリと元気。
本人の意欲が生まれてるなら
これでいいんじゃないかなと思ってるのです。
症状を悪化させる前に。
休もうと思えばいつでも休めるんだ!と
安心感と決断力を持って行動に移す。
これから生きていく中で
とても必要な力だと考えてます。
親も子も考え方と行動が変わりました。
私は今、
常識や美徳に向かっていかない。
コロナでおかしさに気づいたから。
今まで頑張って頑張って生きてきたから。
何かおかしいな‥に気づいたから。
自分で調べれば調べるほど
違和感を持つ。
もう振り回されないようにしたい。
非常識と言われようと
自分の思いを一つずつ確かめながら
方向を自分で決定して生きたいと思う。
先生方ひとりひとりが悪い訳じゃない。
感謝することは沢山ある!
ただ常識を教える場所であるために、
あえて情報を探らない。
真実を知らない•知ろうとしない。
あと、決定事項には逆らえない。
我慢を教える場であり、他人と比較し、
競争させる場でもある。
屋外での体育祭であるのに
保護者にまでマスクを強めに促す異常さを見たとき、
あの時ゾッとした。
科学的に根拠がないことが
学校では色んなことが強制される。逃げにくい。
無意識でいると
それくらい普通のことじゃない?♪
なんて思うかもしれない。
意味不明な校則なんかも
昔からあるところだしね。
麻痺していく。
「当たり前」と「ルール」
これから学校はもっと縛りが強くなる予感が
するのです
「なんか変‥」
「従いたくないな‥」は
自分を守るために最も大切にしたい感覚。
学校を休む決断は
大切な力になる。
月一で休むようになった我が子を
一瞬はため息をつきつつ‥!
‥「ハッ!」‥
そうだそうだそうだった!
学校行きなさいの気持ちをキャンセルしてます^ – ^
勇気を持って行動できる息子の姿を尊敬してます
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母「友達にお腹痛いくらいで?
いーなー!俺も休みたい♪とか
言われるかもよー
先生も冷たい当たりになるかもしれんけど‥
大丈夫?
堂々と動じずいられるなら
高次元情報学的に大丈夫よ♫!」
‥‥
(お互いに目を合わせる)
‥‥
息子「えお腹痛くて休んじゃ駄目なの?」
母「具合は本人しかわからんものでございまして。
色々言う人はいるでしょねー」
息子「じゃ‥休むわ」
即答。
このクヨクヨしない精神力
高次元的に花丸
気持ちの良い現実を創ることでしょう♪
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学校は行きたくなかったら
行かなくていい場所なんだって。
ホッとする。
いろんな病名が増える今、
本人や親も悩むけれど、薬に頼る前に
「昔はそんな病気無かったのにな‥」という
違和感を信じたい。
学校や病院が当たり前!ではなくて
幅広く情報を知りたいと思う。
今ある「当たり前」や常識にとらわれず
選択肢を見てみる。
ピンと来るものを選ぶ。
自分の人生は自分のもの。
自信を持って流されない自分になりたい。
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学校は
親が強制的に行かせなかったら
もちろん駄目だけど。
子どもが自分でどうするかは決めることができる。
そして何故か
ちゃんと通わなくても
卒業できる仕組みになってる。
義務教育って不思議ー‥知らなかった‥
もっと調べてみよっと♪
常識や美徳という太い流れはもちろん主流だし、
キラキラと光って見えるけど
大切なのは
本人が我慢していないかどうか。
親の立場から遠くから
その景色を見ると
鮮やかに映るかもしれない。
子ども本人の立場からしたら
ひたすらこなしていく
白黒の景色かもしれない。
我慢の度合いは計り知れない。
子どもは優しいから
母が困ったり怒ったりしてる顔を
見たくなくて
力を振り絞ってしまう。
もうちょっとなら頑張れるかな‥
じゃあ、これだけなら‥と。
一番大切な自分の心を曲げて
耐えて従うのは
とてもとても辛い事。
そんな癖付けをさせる為に
学校に通うのは考えものだな思う。
自分らしく生きたい。
自分らしく生きちゃ駄目なの?
好かれなきゃ駄目なの?
評価が良くなきゃ駄目なの?
私の心も
学生時代の自分の声に
重い蓋をしてきていることを実感している。
その我慢の蓋を取り除く真っ最中
なかなか外せない。
蓋なんか最初から取っ払った方がいいに決まってる
これから私は
世間の常識に立ち止まる
「あ!」‥を発見していきたい♩
勇気をつかうなら
自分の気持ちが求めてる方向へ!
我慢して逆流をしない!
がんばらない!
したい!と思う方向へ!
自分らしく堂々と進む!
欲しい現実をつかむ!
私は中学校に休みの電話を
堂々とできたことが嬉しい。
休んでホッとできている息子の姿を見て、
こっちの方向で間違えてない!と
確信
私のオススメ
YouTubeで聴いてみてねー
どちらもものすごく素敵で‥
♪勇気を持ちたい時に聴く
気持ちの良い曲
H ZETTRIO さんの
Beautiful Flight
♪思い悩んだ時に聴く
美しい曲
Cateen かてぃんさんが弾く
「想い出は遠くの日々/天門」