悩みいろいろ♪
我が家は転勤族でした。
これまで引越しを数回しています。
知らない土地に移ったばかりの時、
知り合う人の範囲が狭くて
近場の公園なども充実していなくて
気分が塞ぎがちでした。
子どもたちが
学校や幼稚園で知り合うのは
友だちや先生だけじゃなくて。
もっと色んな人の価値観があることを
知りながら育っていけるといいなぁと
望みました。
夫も普段は忙しすぎて
子どもたちと関わる日は少なかったですし、
おじいちゃん、おばあちゃんも遠方にいるため
多感な子どもたちの大切な時期を
私だけの刺激では心配だな‥という
不安なきもちが
いつもありました。
色んな人がいて
色んな見方があって
色んな選択をする人がいることを
当たり前の感覚にしたいと思いました。
たまたま住んだ地域の
小さな繋がりの範囲の価値観だけに
捉われずにいたかったのです。
あたたかな人や前向きな人、
大らかな人に
出会いに行きたい
と思いました。
遊びたい場所や
影響を受ける人は
自分で選べる!
‥と思い、
行動を起こしました。
【子どものために】できることは??
と私なりに
ヒッシにもがいていたと思います。
‥振り返ると‥
私の勝手な理想や提案で
子どもたちに【させて】しまったいた‥と
後から反省することがあります‥が‥。
子どもたちからは
「嫌なこともそりゃあったけど〜
嫌なことばっかりじゃなかったよーん」
‥と
言ってくれます。
あの時の私は!
あの時の精一杯をやったんだ!とも
思っています。
これからも大切にしていきたいことは
お互いに
言葉に出して
聞く耳を持ち
本人の了承を大切に動くこと。
かな。
正直なきもちを
言葉にして
伝え合いたい!
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子育て中、思ったこと。
もっと
(昭和の頃のように)
自由な遊びを
好きなだけできる場所が
どこにでもあればいいのになぁと
思います。
整備されていない自然がある場所
時間を忘れて
親も全く心配もしていなくて
信頼して
ほっておいてくれる環境で。
子どもだけで
遊びを工夫できる場所。
干渉されず、
遊び続けていられる場所。
お腹が減ったら自由に帰っていくような‥
明日もこの続きを考えよう!
またあそぼう!と‥
自然と仲間になっていけるような‥
工夫できて‥
没頭できる場所。
山や野原‥。
あたり前に野山を駆け回り
子どもたちだけでダイナミックに遊べた環境が
どこにでもあった昭和の時代は
心が満たされていました。
今は、整備された公園すら、
いつの間にか
もっともっと整備が進み‥。
『ボール遊び禁止』とか書いてあったり‥
(高めのフェンスで囲ってある場所なのに)
子どもが喜んで遊ぶ遊具が撤去されてしまったり。
(グルグル回る遊具や、シーソーも‥
相手を選ばず一緒に遊べるきっかけになりそうな‥
工夫できそうなものが‥
撤去されてしまって、残念。)
‥地域差もあるんだと思いますが‥
それにしても
「危ないから取り除く」処置は‥
子どもの力を削ぐ方向だと思うのです。
遊び始めは
怪我や心配はつきものなはずなのに。
させない!を選ぶことは
先々のリスクになると思いました。
危なさも経験してこそ!
年下の子や小さな子にも
目をかけるようになるし
あたたかな関わりを持てるのにな‥♪
遊びが発展していく場こそ
魅力的で
子どもたちの繋がりや信頼関係が育つ
嬉しい場所となっていくのになぁ‥♪と
思いました。
大人側の楽な方を(即!安全な方を)
採用してしまう行政側の対策には
違和感があり不満があります。
【子どものため】という言葉は同じでも。
私が望むものとは方向が真逆だ〜
‥と思いました。
その昔から歴代の子どもたちが
楽しく遊んできた遊具。
危険さも理解して
気をつけて
当たり前のように遊べるはずの遊具なのだから。
今の子どもたちにも
きっと
楽しく遊べるはずの道具。
昔の子たちより少し手間がいるだろうけれど
(見守るための時間と忍耐がいるかもだけど)
子どもたちから
奪ってしまいたくない、と思いました。
遊具の撤去、異和感なかったですか?
怪我をさせたら‥もしもが怖いから‥
の先立つ不安。
もちろん
苦手な子もいてもいいし、
やらない子もいてもいい。
でも、
みんながみんな
揃って
その経験をできなくするのは
違うと思うのです。
好きなことはみんな違うし、
小さな積み重ねがあって
力がついていくのですから‥。
大好きな遊びから身につくものは、
子どもたちの意識する力が自発的に広がり、
その自信や度胸は大きな力の元になるのに
‥
危険や心配は
体験から察知できていって‥
回避や対処できる力がつくチャンスなのに。
先々の力になっていくのに‥。
そうなってこそ!
更に仲間との遊びが楽しくなるし、
ダイナミックに広げていけるし、
仲間と繋がり合い、
信頼し合い、
夢中になれるのになぁ。
尊敬や信頼する場所って、
学校や塾の成績だけじゃなくて、
遊びの場所でこそ、
色んなタイプを尊敬できるから
いいなって思うのです。
山や、川も、
危険なことばかりを挙げて、
批判や懸念する声が増え
制限を増やしがちになる社会。
ニュースなどを見ると
心配や不安は膨らみますが、
どうするかを決めるのは
それぞれの判断でいいと思うのです。
‥今まで許されていた自由さが‥
事例をきっかけに
やめなさい!よくない!‥で
世論が簡単に動いていく時、
異和感を感じます。
自由に遊ぶ場所や
自由に人が集まる場所が‥。
ホッと気軽に出会える場所が‥。
誰かの主観で制限されていくって‥
変だな、嫌だな、と思います。
事故や事例は、気の毒に思ったりするのだけれど。
子どもたちも
子育てする大人たちも
自由で気軽に楽しむことを安易に減らされない社会を
望みます
自分のことは自分で決められる社会
人権
大らかに認め合える社会
大切にして、
次の世代へ
子どもたちへと渡していきたいと
強く思います。
誰かを【守る】という体裁で
誰かの価値判断でいつの間にか
全体としての【制限】がつくられてしまっては
子どもたちに残したい未来ではなくなると
思うのです。
【子どものため】
【安全のため】
と言いながらも
結果的に育つ場や楽しむ場を無くし、
個々の力を削いでいく方向へ‥
向かうのは‥
(向かわされるのは)
おかしなことだと思いました。
たまに行く公園にて
張り紙や看板に
驚いたことがあります。
あるはずの遊具が撤去されていて
残念だったんです。
ボールあそび禁止の文字にも驚きました。
「自然の中で気分よく自由に過ごしたい!」
「子どもたちに小言を言わずに、
大らかに見守ってあげられる環境が
増えたらいいのにな」‥と
望んでいるからこそ出かけていく公園なのに。
整備、遊び方の管理まで行き届きすぎていると
つまらない場所になりました。
いつの間にか
【してはいけない】に変わっているなんて
ストレスを溜めて帰ってくるような場になれば
行きたくなくなるんです。
子どもたちが
「何で?ボール遊びダメなのー??」と
言ってました。
子どもたちが育つ環境は
少しずついつの間にか
変えられていっている‥と
思います。
少子化なのに、なぜか窮屈な方へ
変えていくのは
なぜと思います。
保育園や幼稚園でも。
小学校や中学校でも。
高校や大学でも。
自分たち親世代の時と
つい重ねて考えたりしますけど、
少子化だから目も行き届き過ぎて‥
自由さがなく苦しいだろうし‥。
‥ルールが細かいし、増えているし‥
昔とは比べられない
窮屈さや不自由さがあるなぁと
思います。
モヤモヤするときは
大人だって
うまく言葉に表せないきもちになりますけど
うまく言えなくても
例え意見は違うとしても
それでも!
まずは!
伝えようとする&聴こうとできる
親子関係で
いたいです。
子どもからのSOSのサインは
いつでも小さな発信からで。
親の反応を伺うことから始まるから。
小さな「ん??」‥に‥
いつでもスタンバイしておきたいな。
それに気づける自分でいたいなと思います。
私自身のSOSも
早いうちに言葉に出すぞー♪と
色んな体験からそう思ってます。
♪読んでくださってありがとうございました♪