合唱祭というイベントに出ると決めて
10月〜11月にかけて、
息子が登校する日が増えました。
久しぶりに
一日中学校生活体験をしてみた息子。
「やっぱキツイ。丸一日は行きたくないなー」
「音楽だけ参加したいなー‥。
木曜日の午後からだけ!理科と音楽だけ行くわ。」
と自分で決めて行くようになりました。
その後は
「やっぱさ‥音楽だけ行くことにした🎶」
に変化して、
音楽の授業が6時間目だろうと、
時間割変更で3時間目になろうと、
放課後になろうと‥。
息子は気分爽やかに、その時間だけ登校し、
先生には「音楽だけで、帰ります。」と
自分で伝え、
爽やかに教室を出ていく‥という
現実を作っていました。
(学校には「本人が帰りますと言いましたら
親は承知していますので、
そのように対応お願いしたいです📞」
と伝えていました。)
友だちからは「おいおいおいー‥帰んな帰んな!」と前を塞がれたり、
「え?え?えーっ?本当か!」
「なんでなんで!なんでやー!」とか
いろいろ関わりとやり取りが
その度にあるそうで。
予想できます
息子が笑顔で話してくれるその内容が
私には「いじめみたいじゃない?大丈夫??辛くはないの??」なんて聞いてしまうけど、
息子「は?冗談やし」「今に始まったことじゃないし、いつものメンバーくらい。ゲームで遊んどるし。おれ気にせんし!」と
‥あっけらかんの様子‥
心配はいらんなー。信じよー。
それならよかったー♩
と心は軽くなりました。
私が見習いたい力です
無事に合唱祭イベントを楽しんだ、その当日。
帰宅するカバンには‥
置き勉してたありったけの教科書を詰め込み
重いカバンを2つ!持ち帰ってきていて‥!
重そうなその姿にびっくりしました。
息子「もうすぐテスト期間になるらしい‥、
学校は行く気はあんまないから、
置き勉は今のうち、持ち帰ろうと思ってさ♩」
‥と言う息子の行動力と本音に
笑ってしまいました。
もちろん教科書は持ち帰ってきただけ。
カバンは開きません。
今回の期末テストは、
息子の選択はどうするのかなーと聞くと、
「あー行くだけ行くけど勉強はゼロで行くわ」
→「別日のテストに行こうかなー。先生がそれでもいいし‥って前に言いにきてくれた。」
→(テスト前日の夜)
「やっぱー‥受けたくないなー
‥受けんでも良くない?」
と移り変わる気持ちを伝えてくれていました。
当たり前に学校へ
行こうとしなかったおかげで
「え!」
「あ!」
「うん。そうよねぇ。
‥‥意味ないよね‥‥
勉強してないし」
ニカーッ!!と笑い合いました。
【あ、刷り込みを外せた!】
と思いました。
『テストは行かねばならない』の刷り込み。
私がずっと手放さなかったんだなー💦と
やっと‥自覚しました。
期末を受けない選択を
📞学校に連絡し、
スッキリできました〜。
息子の素直な声のおかげで、
私の「テストだけは行っておいたら? 点数なんて成績なんてどうなってもいいから‥」←この!
曖昧な揺れ動く世間体をきにする気持ちを
やっと自覚できました。
私「点数&成績&評価、どうでもいいよ、
って本当に思ってるなら、
学校行かんくて
テスト受けなくて良くない??」
子どもたち「うん。うん。うん。うん。うん。」
私『‥な〜んだ、子どもたちは
最初からそれを希望してたんだ〜‥。
気づけて良かった〜‥。』
そんな会話のやりとりがありました。
(我が子たちは、
なんでも正直に母に言えていると
勝手に安心してたけど‥
子どもは
母の許容範囲を熟知しているー‥。
限界を見抜いている‥。
意識的になのか?無意識的に?なのかは
分からないけど。
今回も子どもは、
『自分の気持ちをちょっと抑えて‥
自分の希望もちょっと言う‥。』
母の言う事を聞こうと
優先してくれていたんだなぁ‥
(‥しなければ‥)と
子どものけなげさに
気づきました。
息子なりに^_^気遣いを?
顔色伺いをしてました‥。
わかっているようでわかっていなかったこと。
私、こういう事多いな〜と思います。
この頃、ちょっとだけ
いくつかの発見や自覚が
自分でもできている。
良かった♩
子どもは底知れぬ愛をいつももっててくれる。
母の言葉、母の態度は、
子どもの「頑張る」を‥
いつの間にか発動させてしまっている‥。
気をつけたい。
息子にも、娘にも、そして夫にも
感謝のきもちです。
最近の私は
尊敬する方々と出会うことができて
本当に嬉しくて幸せなのです。
私にはできない深い愛あるあたたかなご配慮を感じさせて頂く機会がありました。
心のアップダウンを繰り返し、
いろいろな自分に目まぐるしく出会い‥
見たくない認めたくない自分の有様に‥
後悔がはじまり
抵抗していました。
その嫌いで見たくない自分の内面を
いつもだったら責め続けて蓋をするのに‥!
逃げるのに‥。
「やってしまった私」に対して
深く感謝する自分が始まり‥。
なんとも不思議。
見たくない嫌いな自分も
私の中に居ていいよ(๑・̑◡・̑๑)と
心から言えて嬉しい。
これは
自分が起こしたその見苦しい恥ずかしい
事実のおかげでもありました。
(私の知らないところでさり気なく)
気づかせて頂き、
あたたかなサポートを
添えてくださってた人に出会えた有り難さを
感じています。
その時にはわからなかった事を
ずいぶん後からになって‥(トホホですが‥)
思い出しながら
いろんな箇所で
あたたかさを
感じ取ったからです。
私には思いもつかない、深い対応をさり気なく。
謝罪と感動と感謝の気持ちが広がりました。
タイムラグがかなりありましたが、
気づけた自分に
「良かったね」
と言っています。
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日常で家族からの
気がつかないでいた
愛にも
これからは
こんな風に
気がつけるようになっていきたい。
はー‥
ちゃんと自分で感じ取らなきゃ
もったいない。
私も深い愛に気がつける人。
気がつかない相手にもさり気なく
愛を添えられる人になりたい
なれるといいな♩
なる♩