夜中にキッチンへ来た息子
私「寝れないんやね?」と声をかけました。
息子「卒業写真て‥行かんと駄目?」
息子「行きたくないな‥」
私「そうかー。じゃあ、個人写真だけとかにする?」
‥考えてから頷く息子。
私「個人写真なら予備日が〇日にある。
その日に行く??」
息子は首を傾げて‥頷かない。
私「予備日にも行かんなら、直接お店へ行くことになるらしいけど?」
息子「それがいいな‥。」
息子の考えがまた変化してきて、それを
我慢せず伝えてきたことが
私は嬉しい。
学校から遠退きたいという欲求を感じます。
これも本人が選ぶことですけど、
中途半端に参加するって、
ホントに
なかなか難しい。
団体で取り組む行事や
グループで取り組む行事がある中、
しがらみやら協力やら‥
行けば行くだけ抜け出しにくくなるのでしょう。
新しい環境や人間関係。
いい人たちだからこそ
割り切りがしづらかったり
ためらうことが‥あるよね‥
自分に正直に生きたい息子。
遅かれ早かれ
自分を発揮したほうがいいのです
当たり前の取り組み。
みんながこなしていくことに
右にならえをしていたくはないんだろうな。
いつの間にか『ねばならない』の生活サイクルには
なりたくないから
今、抜け出したいのだな、と
勝手に感じ取りました。
受験生なんだけど
周りのみんなと一緒に切磋琢磨頑張りたい
訳ではない息子。
頑張ることは避けたいというポリシー。
どんな自分でいたいか
それが叶う場所なら
それなら通い続けるでしょう。
息子「転校して今まで通ってみたけど、
一回も先生たちが怒る姿は
まだ見たことがないわー‥
前んトコは毎日、先生が誰かしら
思いっきし
キレる姿を見とったけどね‥
色んな子にね‥」
と話をポロッとしてくれました。
新しい学校では
生徒の自分から考えて動く自発性が育つのを
気長に待とうとしてくださってるのは
有難いことです。
でも
今の私たち親子の感覚では、
それも『させる』『させられる』範囲に
感じるのですー。
そりゃ受験というシステムがあるのですし
そりゃ学校ですし
先生という仕事ですし
指導をされる場所であるし
言うことを聞かなきゃまずい場所でもあります。
子どもたちに『察する』を教える場所。
『自発的』(に見える)行動を
起こす(させる)訓練の場所。
先生が良い悪いという論点ではなくて
学校とはそういう場所で
だから
行きたくないのだなーと
息子のきもちは
理解できます
自分の人生を大事に過ごせる人になってほしい
と思います
だったら、
やりたいことが見つかるためにも‥
心を落ちつかせて過ごしてほしい。
させられる形の勉強より‥
好きなことに没頭する時間にした方が
いいのでは?
自分のための時間を大切したら?
‥と感じるのです。
学校は、
結局は自由にはしていられない雰囲気が
作られて、生徒本人がその圧に気づきます。
やるしかない状況に
自然に(?)持っていかれる形になります。
‥親子でそれを求めていないのです‥
(息子「長い時間すぎて耐えたくないっ」と
言います。)
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我が家は今、これまでの当たり前を疑い、
真逆へ進む勇気を
家族みんなが何かしらで
実践したくなっていますので
自分に厳しくしたく
‥「ない♪」と思うのです
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こんなにいつまでもいつまでも
頑張り続けなきゃ生きられないって
もう嫌だな。
信じてきたことは本当なのかな??
‥と‥
アラフィフになりまして思いました。
私たち夫婦は
我慢を重ねることが嫌になりました。
我慢強さが自慢な2人だったんですけど‥。
我慢はいいことがなーい
‥と結論を出しました‥
情報を探して
ワクワクしました。
今まで選んでこなかった‥♪
ホッとする方の‥♪
気分が良くなる方の選択を♪
していくようになりました。
たのしいのですー。
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‥『させる』‥
『考えさせる時間を与えている』という待つ対応は
力づくじゃない分、
感情的じゃない分、
良さげに見えるし‥
有難さもあります‥
が!!
息子は本当の自由が好き
そして、
受験を絶対的にとらえていないのです。
落ちたら???
落ちないだろうけど(楽観的)
それはその時に考えること。
選択肢は3つほどあるよね〜なんて
今、話しています。
リスクを引き受けたら強くいられます
担任の先生にも
我が家の方針をお伝えして来れました。
「我が家は中3でなんとか進路を!とか
切羽詰まってはいません。
同じ年の子とは、意欲ややる気のスタートラインは違ってもいいと
本気で思っています。
何年後になってもいいので
本人の本当の意欲や目的が生まれてきたときが
動き時だと
大切だと
思ってますので‥
楽しみに信じて待ちます
そのためには、
親側が意図的にさせることはしたくないと
考えています。
今、無理やりにやる気や目標を
見つけさせて頑張らせても、
それが本人の喜びにならなければ
意味がないことと
持続しないことは
もう分かりますので。
本人の気力や意欲を大切に待ちたいのです
そのためには
本人の意思を尊重したいですので
基本、登校しない日になりそうです。
息子も親も
先生方やお友だちにも感謝しています。
息子の不登校は誰かのせいではなくて。
息子の単なる選択ですので。」
伝えにいけて良かったと思います。
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平成世代の我が子たちですけど、
昭和の価値観を引き継ぎ、
『ねばならない』『やった方が良い』
『人よりも努力』を
本当にコロナの頃まで
よく毎日努力や頑張りをあれこれ
続けてきたと思います。
私は、
子どもの応援や支えになろうとしてたつもり
だったのに、
親の私の気持ちがいつも、いつの間にか先行して、
『させる』生活を強いてきたことの多さに‥
今更ながら
いろいろ思います‥。
『させる』『それが当たり前』
『言い聞かせる』→『感情的に話す&叱る』
→『改心したのか遠くから見張る』→『口を出す』‥の‥繰り返し。
その時は、
【子どものためだ!】
【子どもが生きやすくなるためだ!】と
本気で思ってました。
子どもにしたら。
学校云々よりも!!
『親』の価値観や評価や指示(命令)は‥。
そこからもらう愛情は‥
とても大きな影響だから‥‥‥。
私の大きな愛が、いつの間にか
『執着』や『支配』にすり替わる怖さ。
居心地が悪かっただろうなと思います。
我が子たちが
こちらのご機嫌を伺いながら
前向きに頑張ってきたことを
‥その立場になって考えてみると‥
‥言葉にできません‥。
過去は取り戻せない。
でも
気づけたのだから!!
これからなのです
本人の心の声を大切に扱ってあげられる環境を
応援したい!!
と強く思います。
無意識に要求し、
自分好みに躾けていたことを振り返り
考えました。
自分は自分の人生を大切にして生きればいい。
子どもは子どもで、
自分の人生を選択し生きる権利がある。
選ぶのは本人。
跳ねのけるのも本人。
親も子も
自分がした選択であれば納得がいく
自分の感情が麻痺するまで
努力や我慢が当たり前になると、
自分の子たちまで、
夫にまで
我慢を要求しがちになっていきました。
あんな状態は健全ではない。
本当に良くない。
我が子にも、真似てほしくない
私の姿を見せてきました。
今♪
美徳を目指して自分を縛り付ける選択を
しないように
意識できるようになりました。
素直に正直に、嫌なことは嫌だと
大切な人には伝えてみることをし始めたら
感謝のきもちが増えていきました
聞き合いや、考え合いが、自然な思いやりができて
みんなで穏やかになりました。
だから
嫌なことは嫌だ!と言う力を
今、大切にして生きたい!と強く思うんです!
判断は【自分】が【自分のために】するもの
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不登校を許す親。
説得もしない親。
甘い!
身勝手と言われたり
思われたりする‥などの
思い浮かぶ偏見を♪
覚悟できたら!!♪
本日の欠席連絡の際の
(卒業写真の日なんですが)
気分の低下の
私の立ち直り
早っ!
電話を切った直後の私は
📞
こんな感じ。
卒業写真の日だったから
先生も思うところがあるのでしょう‥ね。
私「優しいはずの先生が、
あんな‥呆れた冷たい口調になるなんて‥。
‥‥
‥うまく伝えるってほんと難しい‥」と
最初はしょぼんとしました。
そして!
すぐにハッとして。
私「あー!そうか
私がそれだけ、曖昧な言い方じゃなくて、
ストレートにシンプルに
伝えられたんだ♬」
と思えてきました
嬉しい気持ちに切り替わってました〜
私は常識とは真逆の行動なのですから。
うまくなんて伝えられないのです。
淡々とです♪
それでイイんですよね
♪読んでくださってありがとうございました♪